11月21日
先生にお越しいただき、1日だけでしたが、ご指導いただきました。
今回から長い刀を貸していただいたので、これまでと全く別の稽古に思えました。座ることから、抜き付けまででしたが、いかに無駄な力を使わず、身体の微妙な動きで業をすることの難しさを改めて痛感しました。 抜けないと感じたら、そこから先の稽古はせずにやめること。そこで修正すれば、別のものとなり、間違った方向に行ってしまうということを肝に銘じなければと思いました。 鞘がはずれない時は、さらに緩むということが、なかなかできません。緩むことと鞘を引くことだけに集中したとき、先生にその感覚を忘れないようにと、仰っていただきました。 まだ、斬撃の時の感覚がつかみきれていませんが、全身を緩ませることと、つながりを忘れないこと、鞘をはずすことなど、指導していただいたことを忘れず、自分の動きを修正していきたいと思います。(幸) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 刀は師範代が以前使用していた刀です。師範代の好意でお貸ししています。 前回、師範代が稽古を見たときに、お持ちになっている刀が上達を阻害している可能性があると気づき、相談を受けて、師範代の刀を遣っていただきました。師範代の考えどおり、刀がレベルを上げています。師範代の眼もそうとうな高さですので、久留米で稽古をされる時は不明な点は師範代に何でもお尋ねください。 今回は非常に良い気付きをされ、質の高い稽古をされていますので、焦らずにゆっくりと自分自身の変化を楽しむつもりで稽古を重ねてください。焦らずとも道は自ずと開けてきます。(貫汪) |
11月11日
新しい会場で初めての稽古でした。隣で柔道の教室がありましたが、子供が咳をしながらしていたのが多少気になりました。私も治りきっていないのですが、風邪が流行っているので気をつけたいと思います。
前回、教えていただいたように、腕のりきみを極力抜くことを心掛けながら、大森流を一通りこなしました。手の内がどうしても決まらず、刀から離れてしまいそうになるので、腕と刀が途切れないことを心がけました。その後、英信流表を通して指導していただきました。手順を覚えるだけでも精一杯ですが、その中でもやはり極力りきまず、ゆっくり動くように心がけましたが、重心移動や抜き付けなどまるでしっくり来ませんでした。まずは、刀無しで身体の動きをスムーズにできるように練習したいと思います(幸) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ よい稽古をされています。努力されているように、業は体の力みを抜く事から始まります。いくら同じ手順で、同じ外見であったとしても力みが抜けていない動きは真似事に過ぎません。力みがなくなったとき初めて体は動き始めます。 日常生活で力みを無くす事を心掛け続け、刀を腰にしても力まないようになれば刀の助けをかりて何も持たないときよりもさらに楽に体は動きます。 引き続き工夫を重ねてください。(貫汪) |
11月4日
先週木曜日の道標に、浮雲の抜付けの事が書かれてありましたので、今日はそのことを参考に稽古しました。 抜き付けと同時に体が固まってしまい、全てを台無しにしてしまう方が多く居られるとあります。 私が浮雲の抜付けが上手くできないのも体を固めてしまうからでしょう。 では、どうしたら体を軽くしたままで抜付けができるのでしょうか。 その日の道標の後半に抜付けは体の落下によって行われると書いてあります。 落下が始まると同時に抜き付けを行えばよいと考え、何回も試してみましたが、そう簡単には上手くはいきません。 師範代に助言をいただいたり、手本を示していただいたりして、だいぶ修正したつもりです。 刀を持たず両手で拍子を取りながら行った場合は、いくらか良くなってきましたが、刀を持つとバランスが変化するのか前に膝まずいたり、尻餅をついたりします。 今後しばらく悩みながらの稽古が続きそうです。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 浮雲は至難中の至難の業で、これができるようになれば他の多くの形もできるようになるといっても過言ではありません。何年もかけてじっくりと自分の無理無駄をなくしていき始めてみえてくる形です。 浮雲以外の形で少しでも自分の力を使っていたり、体を固めていたりすれば絶対に浮雲はできるようになりません。他の比較的動きが簡単な形で自分の動きを検証しつつ平行して浮雲の自分自身の動きを検証してください。居合は全て自分の力に頼る事はしません。動きは生まれてくるのであって自分で作り出すものではありません。道歌に 浮雲 麓より吹上られし浮雲は 四方の高根を立つつむなり とあります。動き始めは自分が動き、立ち上がるのではなく、まさしく「吹上られ」ます。このとき、体重が消えていなければ後の動きは不可能です。工夫してください(貫汪) |
10月21日
荘島体育館での最後の稽古でした。 少し早めに体育館に行きまして、気になることを復習しました。 土曜日にできなかった左手だけでの斬撃を何度も試みて感じたことなのですが、 最初のころは教えていただいたことを、ぎこちないながら教えて頂いたとおりに行おうとするのですが、 その後一人稽古を繰り返しその動きに慣れていく過程で、自己流の動きに作り変えてしまっていることがあります。 今回がまさにそれでして、道標で書かれているところの下達の稽古でした。 何度も同じ間違いを犯さない様にしたいものです。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 良いところに気づかれました。稽古とは己との戦いで、自分の心が我儘な方向に行こうとしている事に気づき、それを元の道に戻しながら進んでいく事で上達していきます。 自分勝手な動きをして上手くゆくようになったと錯覚してしまうことは、かなり年数を重ねた段階でも起こる事で、自分の我儘な心に油断する事は出来ません。自分は何年も稽古しているといっても我儘な稽古をしていて実際は遠ざかっているということは誰にでも起こります。 遠方で月に一度しか稽古を拝見する事が出来ませんが、「道標」にはいわば極意を記しています。通り一遍に読まれず、文章の裏にあることを読み取ってください。(貫汪) |
10月17日
久しぶりの稽古でしたが、非常に細かく繊細な身体の使い方を指導していただき、改めて自分の至らなさを思い知りました。自分では、緩んでる、力を抜いていると思っても、知らず知らずに肘も肩も上がってしまっています。これで良いと思ったら進歩は止まるという先生のお言葉を身を持って実感しました。自分の腕も身体も、実際には自分の思うように動かない、無意識のうちにりきんでしまっていることを肝に銘じて、稽古だけでなく日常生活も気をつけたいと思います。(幸)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土曜日は非常に良い稽古をされたと思います。無双神伝英信流抜刀兵法への深い理解をされたと手ごたえを感じました。ここまで理解を深められれば日常生活のあり方を工夫する事が上達への近道となります。むしろ刀を腰に差した時以上の稽古ができるはずです。(貫汪) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつまでたっても臍下に意識が降りてこない、始めと終わりはあるように思うのだが途中が全然だめ これも自分で思っているだけかもしれない・・・・右に行ったり左に行ったり、たぶん目指すべき方向から離れて行っているのだろう。思い起こせば半年、一年坐法だけで刀も差さずに稽古をしたのも私ぐらいだろう、これからのことを少し考えてみたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 甘すぎます。師は「面壁八年」ということを教えられました。毎日欠かさず3時間、4時間座る稽古をした方はざらにいます。そして日常生活でもそのまま動きます。したがって稽古は24時間。出来なければできるまで日々稽古であり、もしそうしたこともないのであれば、凡人が出来るようになるはずがありません。あまりにも軽く考えすぎです。古人が、また上達した人がどのような覚悟でどのような稽古をして会得しようとしたのかわかっておられないと思います。業の世界はそのように軽いものではありません。(貫汪) |
10月14日
このところ 英信流表の「横雲」、「虎一足」、「稲妻」を主に稽古してましたので、今日は満遍なく稽古しました。 他の形も全然行っていなかったわけではありませんが、最初は普段着慣れない服を着ているようで、何か違和感がありました。 教えていただく形は段々増えていきますので、稽古時間の配分のことも考えていかなくてなりません。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 流派の中に形は数多くありますが、表に現れる形は異なってもすべて同じことを教えています。これを体で理解できれば大森流・英信流表を一回通し、残りの時間である形を重点的に稽古したとしても全体的なレベルは向上していきます。本質を会得する方向で稽古されれば上達はむこうから近づいてきます。(貫汪) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近は心乱れた状態で稽古することが多くなっていましたので、まず座って心沈ませ、体を緩める稽古から始めました。それからいつも注意される手の内の感覚を感じながら斬撃をしました。いつも大森流から稽古を始めていたのですが、英神流表から呼吸を意識して稽古しました。稽古を進めていくうちに体がどんどん緩む感覚があり、その後稽古した大森流は最近稽古した中ではとても楽に抜く事ができました。(う) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 良い稽古をされました。自分に適した稽古方法を見つけられたと思います。17日の稽古で、見違えるほど動きの質が良くなっていた理由がわかりました。これからも自分に適した稽古方法を工夫してください。(貫汪) |
10月12日 高良おくんち
久留米の高良大社でお祭りがありました。最終日の12日は、武道の奉納演武会がありましたので見学に行ってきました。
![]() ![]() ![]() 左上 久留米市内の高校生、一般のかたの弓道 中、右下 神影流心気道棒術(宮崎県高千穂で行われていた棒術だそうです) 棒術は興味深く見学させていただきました。 ただ普段は写真のような服装で稽古されていないのか、道着に引っかかって得物の動きが止まってしまうことが度々ありました。 私たちは毎回袴をはき帯を締めて稽古をします。 特に夏の暑いときなど大変ですが、苦労するだけの意味はあるものだと感じました。(浩) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ よく勉強されてきました。自分が稽古していない武術を見ることは自分の足らざるところを考える上で参考になります。これからも学ぶ姿勢を忘れず稽古されてください。(貫汪) |
9月30日
私事のために2週間稽古をお休みさせていただいたので、約半月ぶりの稽古となりました。
斬撃の後、大森流から英信流表まで通しました。 相変わらず体調が万全とはいえませんが、現状ではこの不調も免れないので、今の自分の状態を受け入れていかないといけない。。。 とは思いますが、稽古にも集中できず、形もおざなりになり、 「稽古した」といえないような時間をすごしました。(う) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「道場に入る事のみでも稽古となる。」と師は教えてくださいました。 体調が悪い時には自分の出来る範囲の稽古をして下さい。正座が難しい場合には立膝の業のみ、また座る事が難しい時には立業のみ、さらに刀を抜く事が難しければ歩くことのみと自分の出来ることのみの稽古でかまいません。時には椅子に座して呼吸の稽古を10分程度という方法もあります。 出来る範囲の稽古で十分に効果はあがります。(貫汪) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
9月23日
先週は、手の内を決める時間を短縮するのが課題としましたが、もう一つ抜付けの時、柄を握り締めないようにせんがために、刃先が下がっていました。 特に勢中刀においては、上段から切りかかってくる相手の腕を払うという想定ですので刃先が低すぎると指摘を受けまして、その点を考えながら稽古しました。 抜付けの時、柄に手をかけたらすぐに親指と小指の二点で持つようにしておくと刃先を高く保てるし、その後頭上で手の内を決めるのにもあまり時間がかかりません。 教えていただいたことがそのままできただけですが、自分にとっては重要な気付きでした。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すこし気になるのが「手の内を決める」という言葉です。手の内は自然にそうなるのであって決して作るものではありません。たんなる言葉ですが、言葉が意識を支配し、行動に干渉します。 決めるという意識はもたれないほうが良いと思います。斬撃をする時に手の内が初めから終わりまで変わらないようにたとえ左手が柄に触れていなくても常につながっています。左右の手が一見分かれていても柄の上でつながっていても変化はありません。 柄手ですが、どこで持つということもありません。臍下丹田を中心に内から外へ働けば手の内は自然にそうなるもので、これもまた作るものではありりません。臍下丹田から切先までがつながっていれば、「はら」が角度を決めてくれます。問題はつながっていない事になります。 自分の体に新たな事を身につけさせるのではなく、初めからあるものを発現させます。刀を用いるといっても何も特別な事ではなく、箸を持ったり、自動車のハンドルを持ったり、鉛筆を持ったりすることと変わりはありません。そのための「無念無想」です。さらに深く工夫してください。(貫汪) |
9月16日
先日の稽古会の復習のつもりで、斬撃を何度も繰り返しました。はじめは、頭上で手の内をピタッと決めて刀の中ほどできりつける等と思っていましたが、そのうち手の内が決れば、自然に教えていただいたように刀は動いていくと感じられるようになりました。ただ、その手の内を決めるのにもたもたして、時間がかかってしまいます。今後の課題です。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 手の内は体と刀を一体にするジョイントです。刀を持つ、操るという意識があれば手の内もまた異なったものになってしまいます。 体と刀が真に一体になれば、手の内は意識する事すらなくなります。それは形、肘、手首の関節とおなじような存在となるからです。先週はこの手の内が如何にあるべきかをお教えしましたが、上達するにしたがって、手の内は意識する必要がなくなるものだということは頭においてください。 「手の内が決れば、自然に教えていただいたように刀は動いていく」と感じられたという事は、刀が体の一部となりつつあるということです。今の方向で、臍下丹田から切先までつながるよう稽古を重ねてください。(貫汪) |



![逕サ蜒・096_convert_20091016235614[1]](http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/k/u/r/kurumekanoukan/200910162357446c2.jpg)
![逕サ蜒・100_convert_20091016234442[1]](http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/k/u/r/kurumekanoukan/20091017000649d17.jpg)
![逕サ蜒・095_convert_20091017001056[1]](http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/k/u/r/kurumekanoukan/20091017001146fd3.jpg)


