スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

6月24日

 隣の少年柔道は、総監督(名刺をいただきました)が来られてまして、一段と大きな声を出して稽古してましたので、こちらはなかなか集中できず動きがギクシャクしてました。
 今まで習った形を行ってみて、気になる形は何度か多めに繰り返して、太刀打の一人稽古までおこないました。
 体を作らず、形を作らず、体を自然に任せれば体は動くとのことですが、なかなかそのように稽古できず、頭の中で作った形に当てはめようとして、ずれれば帳尻あわせをしようとしているのに気付かされます。 日頃から力まず自然に動くことを心がけていますが、まだまだのようです。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 場所は稽古の密度に大きな影響を与えてしまいます。何にも影響を受けない心をもてればよいのですが、それは修行が随分進んだ人でなければ難しいと思います。
 さて、稽古は動けなくてあたりまえの所から始まります。動けないものを無理して動いてしまえば異なったものしかできてきません。動けなくて当り前、抜けなくて当り前、振れなくて当り前という前提から全てが始まります。それを少しでも無理して動き、抜き、振ると全く違ったものが出来上がります。一度違った方向に行くと戻ってこなければならないので、ゼロに戻す年月が違う方向にいった年月ほどかかってしまい、「自分はもう何年稽古している。」といったところで、下手になるために稽古していることになります。外見は似ていても全く異なったものでしかありません。それを下達といいます。 
 今のところ正しい方向に向かっておられますので焦りは禁物です。特別な人は除き、最低3年辛抱しなければ自分自身では道は見えてこないと考えてください。
 私自身は3年を10年以上も掛けてしまいました。下達し続けていたのです。師匠に「頭が良いからいけない。力があるからいけない。」と言われ続けたのがそれです。動けないことを知り、抜けないことを知り、振れないことを知る人こそが速やかに上達する人です。私は自分ではそうしていないつもりでも、それに気付くまでに無駄な年月を過ごしました。(貫汪)

 目の前のます毛の秘事を知ぬれは只すみやかの一筋の道

スポンサーサイト

6月17日

 新しい居合刀の長さを意識しすぎないよう、ゆっくと大森流、英信流表を稽古しました。抜きつけの際、腕に少し力みが入っただけで刀の重さが堪えます。私にとって振ろうとして振れる重さではないので、体を使う良い稽古になります。先日の稽古会で刀の重さにより腕が筋肉痛になるのではないかと心配していましたが、ならなかったので安心しました。どうせなら夏に向けて、ぷよぷよ二の腕が引き締まればいいのですが、必要以上の筋力は用いていないので期待できないようで残念です。。。(う)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 長さは意識しないで、このまま稽古を続けてください。長さを意識してしまうと手先でコントロールしようとしてしまいます。今のままで稽古されてください。
 腕の力みが無ければ無いほど刀はより自由になります。腕力は用いる事はありませんので、良い稽古をされていると思います。このまま稽古を続けられると、意識せずに自然に動きは速く強くなっていきます。
 これから暑くなりますので汗だけは出て行きます。水分補給を忘れずに稽古されてください。(貫汪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日の稽古会で、できなかったところや手直しを受けた形を中心に稽古しました。
 左刀や当刀で左に廻って抜付ける時、座り込んだまま抜付けていましたので、自然にできるようにと何度か繰り返してみましたが、意識してしまい立ち上がってしまうか、座り込んだままか極端な動きしかできませんでした。 過剰な意識が、身体のどこかに力みを生み、凝り固まってしまう悪い例でしょう。 しかし、師範代より助言もいただきましたので、稽古が解決してくれると思います。
 今日は、早めに道場に来ましたので、時間に余裕があり、太刀打の一人稽古も何度かできました。相手がいなければ、相手を意識せず形を行えるのに、相手がそこにいるとなると自然に動けなくなり、心の問題がぐんと大きくなります。 稽古が進むにつれて、居合の奥深さを感じるようになりました。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 居合は刀が鞘の中にある時から始まる武術で、自分の状況は非常に限定されています。その中での技術ですから、同じ刀を使いながら、刀を抜き放った自由な状態から始まる剱術とは技術体系が全く異なっています。それ故に居合は剱術とは別個の武術と考えられていました。居合と剱術との差は剱術と柔術のさほどの開きがあります。
 非常に限定された条件の中で自在にあらねばなりませんので、心の領域が業に及ぼす影響は非常に大きいものがあります。居合においては業の追求と心のありようの追求は不可分です。しっかり工夫されてください。(貫汪)

6月13・14日

 今月も2日間にわたり先生にお越し頂き稽古会を行いました。
 1日目は斬撃の稽古に始まり、初発刀を繰り返し行いました。京都の演武会の際に注文していた居合刀ができてきましたので今回から新しい刀での稽古となりました。少し長さが長くなり、できるだけ重たくしていただいているので使えるか不安でしたが、非常にバランスよく仕上げていただいており、かまえると重さは消えます。今までの刀は慣れた分、小手先で使ってしまうことがありましたが、これからはまた誤魔化しがきかなくなりました。太刀打の稽古もしましたが、形を思い出そうと頭を使うためぎこちなくなり相手を感じることができなくなってしまいました。
 2日目午前は最初に斬撃、初発刀を繰り返し稽古しました。その後、大森流から英信流表の3本目まで皆で稽古しました。午後からは英信流表、英信流奥を通し稽古しました。新しい刀は重量は増しましたが、重さがある分その重さを利用できるので、逆に使いやすくなったようにも感じます。後半は太刀打の稽古を皆でしました。相手がある稽古のときは恐怖心や緊張で下半身が自由に動かなくなってしまうので、心も自由になるよう稽古していきたいと思います。(う)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2日間お疲れ様でした。新しい刀は濃州堂さんのカタログの表では身長が180cm~185cmの人が用いる刀の長さと言う事になります。また今回はその長さで最大限に重たくしてもらうために樋なしにして頂きました。使っていただく前は少し心配もあったのですが、見ていて長さは全く気にならず自然に抜付け納刀ができ、重さも感じさせませんでした。随分上達されました。居合刀のバランスが非常に良いということもありますが。体の中心を使って抜付け、振れる様になっているので、刀が自分の一部になっています。もう少ししたら二尺七寸の刀も自由になるかもしれません。157cmの身長で今の刀の長さですから、身長比にしたら私の刀より長い物を用いている事になります。また私の筋力と比べたら比較にならないくらい非力ですので、そうとうな業が身についています。今後は心の工夫も重ねていかなくてはなりません。
 太刀打は私が出向く月に1回しか稽古できませんが、今までの稽古の蓄積があり、レベルの高いところまで来ていますので、思い出そうと思わず、体に任せて動けば自然に技になります。下手に考えると動けなくなってしまいますので心してください・。
 袋竹刀を用いる稽古では心を沈め、心をどこにもいつかせず、頭で考えず、思うまま感じるままに体が自由に働けるよう動いてみてください。次回も稽古いたします。(貫汪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回もご指導ありがとうございました。色々な場所を緩めるように心がけていても、実際にはゆるんでないことも多く、そのたびにこれでは駄目だと思います。特に、運足がうまくいかないことと、左がうまく使えていないと感じます。太刀打ちでは、自分ひとりで稽古するのとは勝手が違い、どうしても力が入りがちになります。ひとりで十分に動けないと、相手がいては動けないなと、改めて感じました。
教えていただいた一人稽古とイメージトレーニングで少しでも感覚をつかみたいと思います(幸)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 初心のうちには自分自身でまだかまだかと至らぬところがわかってきます。実はまだかまだかと思うたびにレベルは高くなっています。たとえば今まで肩の力は抜けていたと思っていたのに実際にはそうでなかったという気付きは自分のレベルが高くなっているから気付くことなのです。その意味では今回の稽古で気付かれたことは自分のレベルが上がっているからこそ今まで気付かなかったことに気付けるようになったということです。確実に上達されています。
 運足の不自然さも左が働かないことも、中心が臍下にないから起こることです。すべてを臍下に鎮めるように努めて稽古してください。(貫汪) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回の稽古会で、動かなければならないのに、動きを意識しないで自然に動くというのはなかなか難しいことであると実感しました。 動きを意識した瞬間に日頃からよく使う部分に力が入ってしまい、形が崩れてしまいます。 日頃からよく使う部分はよく感覚が通っているらしく「意識しないで動こう」などと考えるとすぐに意識がその部分に飛んでいきます。 何も考えないで動ければよいのですが・・・。 反対に日頃あまり使わない部分もあり、そこは意識してさえもあまり動かないということもあり、簡単にはいきません。 しかも今回、太刀打の稽古をしてみて、相手がいるのに相手を意識しないで動くことを学びましたが、これは益々困難なことです。 それこそ肩の力を抜いてゆっくり確実に稽古していこうと思います。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日頃あまり使わない部分というのは無意識のうちに使っていますので、使っていると意識することはありませんが実際には使っているのです。ただ、何かしようとすると小手先が働くことによって普段使わないと思っている部分が働かなくなり、すべてを崩してしまいます。
 体の遣い方はあくまでも中心から外へ、したがって臍下丹田を中心に下半身も上半身も働きます。刀の切先は臍下丹田を中心とすればその末端に位置しています。その端のほうにある刀をどうこうしようという思いが、刀を手先で扱うことにつながり中心を失ってしまいます。中心がなくなってしまうのですから体の動きはばらばらに崩れます。
 さらにひどい方は、そこから、ばらばらに崩れた体を何とかしようとして体を緊張させ、固め、動けない体に充実感を覚えてしまいます。動けなくしては、体を一度緩めて動かせ、再び動けなくしてはまた緩めて動かせの繰り返しをしてしまいます。
 ご自身の状態がわかっておられるので、そのような状態には陥ることがないと思いますが、上達とはその反対方向に行くことです。体は常に楽に、どこにも凝り固まりはありません。どこにも凝り塊がなければ臍下丹田が動きの中心となり、体は動き始めます。初めは曖昧としてよくわからないかもしれませんが、急いては何も起こりません。あせらずにしっかりと、ゆっくりと。(貫汪)

6月10日

梅雨入りし、蒸し暑い季節となりました。居合は激しい動きはありませんが、すぐに汗ばみ袴が足にまとわりつき、角帯が湿り鞘が動きにくく感じます。先日から動きが硬い感じが続いていますので、あせらずゆっくりと稽古しました。いつも稽古は静かな環境で行うことが多いのですが、今回は元気な子供たちの声に包まれての稽古となり、そういう環境ですと気が散ることが多いのですが、今回は比較的気にせず稽古することができました。(う)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 環境に左右されないということは心身ともに上達されていると思います。稽古にはつらい季節になりますが、今後も心を静めあせらずゆっくりと稽古を続けて下さい。(貫汪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 隣で少年柔道があっていまして、その少年たちに興味津々で見られていたり、湿気が多くて汗ばみ、床が滑らない、袴が足にまとわりつく等とてもいいといえない条件下での稽古でしたが、形の合い間に斬撃をしたり、鏡を見ながら行ったりして集中力を切らさないようにしました。
 稽古が始まってしまうと、少年達もこちらをあまり見なくなりましたし、床が滑らないのにも対処できるようになりましたが、袴がまとわりつくのは最後まで苦労しました。
 特に英信流の座法では、動き出しにくくそのことばかりに気がいってて、手の内がおかしくなっていていたようで、師範代より注意を受けました。
 先週もそうでしたが、自己満足かもしれませんが、一つでも二つでも手直しを受けると、その後の動きががらりとよくなるよう感じがして、充実感を持って稽古が終われます。ありがとうございました。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 初心の内には稽古の質が環境に大きく影響を受けてしまいますので、極力心と体を静めることに意を用いてください。静まる前に下手に動こうとしてしまうと、中途半端な稽古になりがちです。
 不明な点は師範代にお手本を見せてもらい、会得するようにしてください。動きが以前に比べ楽になったと感じれるようになったら上達している証です。これは力をこめ筋肉を使った充実感とは異なりますので注意してください。上達とは当たり前のことを自然に行えるようになるようになることです。したがって真の速さ強さは自分では意識しないものです。稽古が終わったときに心地よさ、爽やかさを感じられるようになれば良いと思います。(貫汪)

6月3日

 形の中には、不得意な形というか、上手くできない部分を含む形というのがありますので、それらの形は、時間があれば繰り返し稽古するようにしてるのですが、なかなか納得できるようにはなりません。
 今日は「流刀」を繰り返し行ったのですが、やはり思うように刀が抜けませんでした。 師範代に手首を修正していただくと、だいぶよくなったように感じました。 これは刀を持たないとわからない感覚ですが、ヒントをいただいた後は、日頃からも工夫していけるものだと感じました。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 流派の形と言うのは非常に上手く組み立てられており、一つ一つ順番に出来るようになっていけば体が動き出すように仕組まれています。これは流祖(形を作った人の)教習体系と言うべきもので疎かにする事ができないものです。
 自分の中で苦手な形と言うのは体が働かない部分ですので、その動きをする時に自分の体に無理無駄、凝り固まりが生じています。似たような動きをする時にもそのようになると思います。体をより自由な状態となるよう工夫をしてみてください。とくに流刀は手や刀に居着いてしまうと難しくなります。師範代に手の内を修正されたようですので、あとは臍より下の工夫をしてみてください。
 流刀がある程度自由になれば他の形もより自由になり、その先の形も自由になっていきます。(貫汪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 体がもぞもぞするような感じがして腹が定まらず、呼吸も浅くて身体が緩まない。「調子が悪い」と一言で片付けたくなるが、原因は何なのか・・・。のんびり稽古しようと思うものの、身体の違和感がぬぐえないまま稽古時間を終えた。(う)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 仕事が忙しかったり、稽古前があわただしいと、心が落ち着かぬまま稽古に入ることになり、稽古中にどうしても落ち着かないことがあります。そんなときは稽古前にさっと水(シャワーやお湯でも)を浴びて稽古着に着替えるなど、心の切り替えができればよいのですが、そのような時間がないときには稽古に向かう車の中で、落ち着ける音楽を聴いたりしてみてください。
 道場では無理に大森流から稽古しなくても、そのときの状況に応じて、奥居合の立ち業をしてもしても良いですし、一人で木刀を用いて太刀打の稽古をしても良いと思います。太刀打は鞘の中に刀があるという制約がありませんので、そのような時には体を緩めてくれる効果もあります。ただし、ゆるゆると、すらすらと稽古してください。(貫汪)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回、6月10日の稽古は城南中学校剣道場で行います。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。