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9月23日

 先週は、手の内を決める時間を短縮するのが課題としましたが、もう一つ抜付けの時、柄を握り締めないようにせんがために、刃先が下がっていました。 特に勢中刀においては、上段から切りかかってくる相手の腕を払うという想定ですので刃先が低すぎると指摘を受けまして、その点を考えながら稽古しました。  抜付けの時、柄に手をかけたらすぐに親指と小指の二点で持つようにしておくと刃先を高く保てるし、その後頭上で手の内を決めるのにもあまり時間がかかりません。  教えていただいたことがそのままできただけですが、自分にとっては重要な気付きでした。(浩)
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 すこし気になるのが「手の内を決める」という言葉です。手の内は自然にそうなるのであって決して作るものではありません。たんなる言葉ですが、言葉が意識を支配し、行動に干渉します。
 決めるという意識はもたれないほうが良いと思います。斬撃をする時に手の内が初めから終わりまで変わらないようにたとえ左手が柄に触れていなくても常につながっています。左右の手が一見分かれていても柄の上でつながっていても変化はありません。
 柄手ですが、どこで持つということもありません。臍下丹田を中心に内から外へ働けば手の内は自然にそうなるもので、これもまた作るものではありりません。臍下丹田から切先までがつながっていれば、「はら」が角度を決めてくれます。問題はつながっていない事になります。
 自分の体に新たな事を身につけさせるのではなく、初めからあるものを発現させます。刀を用いるといっても何も特別な事ではなく、箸を持ったり、自動車のハンドルを持ったり、鉛筆を持ったりすることと変わりはありません。そのための「無念無想」です。さらに深く工夫してください。(貫汪)
 
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9月16日

 先日の稽古会の復習のつもりで、斬撃を何度も繰り返しました。はじめは、頭上で手の内をピタッと決めて刀の中ほどできりつける等と思っていましたが、そのうち手の内が決れば、自然に教えていただいたように刀は動いていくと感じられるようになりました。ただ、その手の内を決めるのにもたもたして、時間がかかってしまいます。今後の課題です。(浩)
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 手の内は体と刀を一体にするジョイントです。刀を持つ、操るという意識があれば手の内もまた異なったものになってしまいます。
 体と刀が真に一体になれば、手の内は意識する事すらなくなります。それは形、肘、手首の関節とおなじような存在となるからです。先週はこの手の内が如何にあるべきかをお教えしましたが、上達するにしたがって、手の内は意識する必要がなくなるものだということは頭においてください。
 「手の内が決れば、自然に教えていただいたように刀は動いていく」と感じられたという事は、刀が体の一部となりつつあるということです。今の方向で、臍下丹田から切先までつながるよう稽古を重ねてください。(貫汪)
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