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2月24日

 形を繰り返し稽古しまして、途中からは以前教えていただいたように、大きく呼吸しながら、その呼吸に動きを乗せていくようにしました。
 自分の感覚ですが、大きな呼吸が動きを助けてくれるようですし、一つ一つの動きが大きくなったようにも感じます。
 また、新たにアップした稽古風景の自分の写真を見てみますと、鞘を強く握っているのがわかります。 時々は、写真を撮ってみて自分を客観的にみてみるのも為になるのがわかります。(浩)
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 呼吸にのせて動けば、体の緊張がとけるため、動きが大きくなったように感じるのだと思います。体がこわばり固まっていれば動きはぎこちなく、小手先の技しかできませんしたがって肩から切先、肘から切先までの動きでしかありませんので動きは小さく感じます。
 一方、体の緊張が解ければ肚中心に動けるようになりますので、肚が働けば切先まで動くため、動きが大きくなったように感じます。
 とはいっても動きを意識的に大きくしてしまってはこれも「無念無想」ではありませんのでご注意ください。無理無駄が無くなり肚中心に動けるようになれば肚の小さな動きが切先まで動かします。つまり、小さな動きと外見的に大きな動きが同時に存在する事になります。
 写真やビデオは初心のうちには役立つものです。時間があれば大森流や英信流の表を通してビデオにとり、自分の至らぬところを知るのも良い稽古になります。(貫汪)
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2月21日

先生にお越しいただき、丸一日ご指導いただきました。
午前中は大森流、午後は英信流表を通しました。
手の内や姿勢、腹を中心に動くことなど、課題は同じですが、なかなか思うようには動きません。
こちらを直すとあちらが歪み、というようになってしまいます。
全ての場所に腹からの意識を通して(意識を消して)やらなければ、と思います。
英信流は、何とか通すことができるようになりましたが、細かいところは全く雑で、浮雲や山下風など、
自分でもこれは駄目だと何度も思いました。
太刀打ちは、形だけではなく、タイミングや強弱なども気をつけていきたいと思います(幸)
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 結局のところ、「肚で抜く」ことに尽きます。肚が中心ではなく手先が中心になるので全てがくるってしまいます。
「こちらを直すとあちらが歪み」となるのは中心となる肚が抜けてしまっているからです。全てはもとから正さねば歪を歪で補正しているに過ぎず「こちらを直すとあちらが歪み」という状態が生まれます。工夫してください。
 太刀打も居合も変わる事はありません。何も考えません。敵がいて自分がいるだけで、状況に応じて自然に自分の体は変化して動きます。「あああする、こうすると」考えれば歪が歪を生んでしまいます。工夫と稽古が必要です。(貫汪)
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 稽古会の度に、手の内の甘さや、途中で臍下からの力が途絶えてしまうことなどに気付かされ、同じことの繰り返しのようです。 一日の稽古でたくさんのことをご指導を受けるのですが、以降の稽古において一度におこなえずとも自分の中で整理して、優先順位を付けるというと少し違うかもしれませんが、大事なことから少しずつでも身に付けていければと考えています。 まずは、肚からの力が刀の先迄とおるようにして、手の内を決める。 と云いましてもこのことが一番難しいようです。
 前日の座学においても実に多くのことを講義していただきましたが、故あって古伝の居合に関わることになった以上は、正しい居合の業や知識を後世に伝えていく責務を負ったものだと考えるようになりました。(浩)
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 はじめに言葉についてですが、「手の内を決める」という言葉は用いません。「決める」は「居着く」につながります。居付きは斬られるところです。現代武道の一部の形においては「決める」という動きや意識があるのかもしれませんが、言葉は動きをも変えてしまいます。気をつけなければなりません。
 刀は腰にある時から既に自分と一体ですので、決める必要など全くありません。むしろ「決める」、「何かをする」という意識がある故に、刀と体がもともと一体であるものがバラバラになってしまいます。手と刀が離れていようが接していようが一体なのです。
 座学でお話しましたように居合は初手から術技としての「無念無想」を用います。
 「手の内の甘さ」といっても甘いからしめるのではなく、緩めるのです。手は力を抜けば赤ちゃんが寝ている時のように指が曲がるのが当たり前です。それが伸びているのは自分自身の刀を取ろう、柄を握ろうとする意識です。
 心のありようを工夫する事が上達につながります。(貫汪)

2月10日

 いつもは、時間がなくなり省いてしまうことが多い太刀打ちの稽古を最初に行いまして、その後いつものように斬撃から形に入りました。
 まだ頭で考えながら稽古している段階で、身体が覚えていないせいか、ふと頭の中が白くなり次の動きがわからなくなってしまうことがあります。 あれこれと思い悩みいろいろと試してみるのですが、納得いかない時は機会があれば、師範代にお手本を見せてもらうことがあるのですが、実にあっさりとおこなわれます。このお手本を見せていただいた後は自分の動きも変わってくるようです。 自分で思い悩むことも、その後お手本を見て変化していくことも今は必要なことと考えています。(浩)
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 観る事はとても大切な稽古です。私も初心者の頃、師の梅本三男貫正に一人だけで教えていただくときには、よく見せていただきました。観る時には自分の考えを一切さしはさまず、そのままに見て、そのままを心まで届ける事が大切です。
 またマンツーマンで対面して一緒に抜く稽古もさせてただきました。初心者の時、初めて一緒に抜かせていただいた時は、何とかついていこう、遅れまい、また丁寧に抜こうなどという邪念が起こりました。その時先生は「私の通りに抜けばよい。何も考えなくて良い。」と教えてくださいました。その通りにすると不思議な事に先生の動きについていけ、動きがとても楽になったのを覚えています。稽古を重ねてください。(貫汪)
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