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3月24日

 今週も膝に不安がありましたので、斬撃から形を選びながら稽古しまして、その後一人で太刀打の稽古をいたしました。本来なら太刀打は相手がいますので、その相手の動きに気がいったりして雑な動きになりがちです。 一人稽古では自分の動きに集中できますので、丁寧に動くことを心がけました。それでも納得いく動きはなかなか出来ないものです。 最後にカメラを三脚に固定して写真を撮ることを試みましたが、思いのほか難しく慣れと工夫が必要のようです。写真の枠からはみ出したり、毎回シャッターを押してから写真が撮れるまでの時間が同じなので、同じような写真しか撮れませんでした。別に時間を設けて練習して、試みてみます。(浩)
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 良い稽古をされました。太刀打ははじめのうちには一人稽古が最も有効です。太刀打だからといって自分自身の動きがどうでも良いわけではなく、自分の動きの調わないところは全て隙ですので相手に斬り込む前に自分自身は斬られてしまっているのです。しっかり一人稽古を重ねてください。
 丁寧さは、どんなに丁寧でもこれで良いということはありません。それこそ指の位置が数mm異なるだけでも結果は大きく違ってしまいます。全ての動作が極限まで丁寧であるように心掛けてください。
 自分で、自分自身を撮影する事はかなり難しく、ビデオであっても自分一人で撮影する時にはビデオカメラの位置が気になってしまい自分本来の動きができなくなる事があります。工夫してみてください。(貫汪)
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3月17日

 先々週ごろから左膝を痛め、稽古の度に悪くなっていくようでしたので、今日はサポーターを着けてみました。
できるだけバランスが悪くならないようにと両膝に着けてみたものの座ると膝が高くなり身体が後ろに傾いているようでした。 しかも膝を着けばやはり痛いので、余計に力んでしまいますし、稽古内容も左膝をかばったものになりますので、形によっては一部分がどうしてもできないものもあり、思うようにできませんでした。 今回のように万全の体調で行えない時も出てくると思いますので、身体と相談しながら稽古を続けてみます。(浩)
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 膝を痛めている間は斬撃、虎乱刀、太刀打などの膝をつかない稽古を専一に行い膝の完治を待ってください。
 膝を痛めたのが居合の稽古によらないのでなければよいのですが、膝を痛めたのが居合の稽古によるのであれば再度自分自身の動きを詳細に検討しなおさなければなりません。
 居合の稽古で膝を痛める原因は体の調和が保たれていないことにあります。抜付けで調和が乱れる原因は「斬りに行こう」とする心の力みにあります。斬撃もまたしかりです。具体的にいえば前に前にと出て相手を斬ろうとしてしまう動きです。師はこれを「また突撃をしている」と戒められていました。
 想定では敵が斬りかかってくるのを迎え撃つのですが、斬りかかる敵が途中で止まって自分の動きを待ってはいないでしょうか。そのように間違った想定をしてしまっても、前に前に出ていく原因となってしまいます。
 初心のうちには敵が自分に斬りかかるスピードはゆっくりでよいのですが(そのほうが自分の動きに無理がありません)、絶対に敵の動きを自分自身で止めてしまってはいけません。止めれば斬りに行かなければならなくなります。
 いずれにしても自分自身の動きを詳細に検討してみてください。体を痛めるほど稽古したと自己満足される方もおられますが、無双神伝英信流抜刀兵法では筋肉痛をおこすような無理な動きをも否定します。
 私も師範代も居合の稽古で膝を痛めたことはありませんし、もちろんサポーターを用いたことはありません。工夫を用します。(貫汪)

3月10日

 稽古の最後に師範代と向かい合いで、大森流を通しておこなっていただきました。 後で気付かれた点をいくつか指摘していただきましたが、自分では気付かなかった点、確かにそうでしたと思い当たる点などあり、また師範代の動きを見ながらでしたのでその違いも感じられまして、今後につながる大変良い稽古をつけていただきました。 思うように身体が動かず、分かっていても力んでしまうことを腹立たしく思うこともあり、今は足踏みしているような状態ですが、壁を乗り越えて前進できるように指摘していただいた事などを思い出しながら稽古を継続していきたいと思います。(浩)
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 よい稽古をつけていただきました。<また師範代の動きを見ながらでしたのでその違いも感じられ>というのは良い傾向だと思います。初心の方がつまずかれるのは見えていない事に原因があります。見えていないのに教えられる事よりも自分がこうだと思う事をしてしまえば、下達しかありません。違いを感じられたということは、見え始めているという事です。
 <分かっていても力んでしまうことを腹立たしく思う>という事も良い傾向なのです。わからぬ方は力みに充実感を覚え、力みを上達の証ととらえてしまいます。腹立たしく思うどころか、もっと力みを求めてしまいます。力みを悪しきものと感じられなければ自分自身で直しようもないのですから、今は動きが伴わなくとも感性のレベルで確実に進歩していると思ってください。(貫汪)

3月3日

 稽古は、大森流から英信流表までを二度ほど行いました。 意識や心の問題は大変難しいことで、臍下から力は伝って来るとか、刀は身体の一部で手の延長だとかを意識して動いてみても、途中で他のことに気持ちが行ってしまえばすぐに途切れてしまいそうです。 またこれも違った心の問題でしょうが、天候によって今日は床の滑りが悪いとか、着付けがしっくりこないとかに気持ちが取られます。 無念無想で動けるといいのですが(浩)
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 「天候によって今日は床の滑りが悪いとか、着付けがしっくりこないとかに気持ちが」と感じるのは確実に進歩している証拠です。進歩していない方はそのような事にも気づく事はありません。あとはそれらの事に気付いても居付かないようになるだけです。
 色々と心が乱れる時には、姿勢が如何にあるべきかはお教えしていますので、その上で、絶対的に体の力を抜く稽古を中心にして下さい。感覚が鈍い下半身の力を抜く事はいうまでもありません足の爪先から足首、膝、股関節、お尻、腹筋・背筋、肩甲骨周辺、上腕から手の指先まではもちろん、さらには頭の中に至るまで力は抜いてしまうのです。そこから色々とわかる事もでてきます(貫汪)
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