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4月21日

 今日は見学者が来られましたので稽古時間が短かくなったので、このところ行っている抜付けを再び行いました。 斬撃の後、正座での抜付けそして少し迷ったのですが、そのまま刀が抜けるところまで行ってみました。 あまり感覚なく抜けたようでしたが、後から顧みましたらまだ右手を使っているようです。 次に英信流の座法で抜付けを行いましたが、こちらの方がやり易い筈ですが、さらに上手くいきません。 もう少し稽古したかったし、写真も撮りたかったのですが、時間がありませんでしたので次回の課題とします。(浩)
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 初心のうちは数よりも質が大切です。数をこなしても質の悪い稽古をしていたら数をこなした分だけの質の悪い動きが身についてしまいます。抜付けはその過程で自分の動きが悪くなったと感じたらそこを正す稽古をしなければなりません。抜こうとして抜いてしまえば抜く事に気をとられ動きが歪んでしまったのがどの時点であるのかがわからなくなってしまいます。
 大切なのは過程の中で駄目になった動きはどこから生じたか、その原因は何なのかを見つけることで、抜いた後に今のは駄目だと感じる事ではありません。そのような稽古の積み重ねの結果、抜けるところに到達します。
 より繊細に、より緻密に稽古を重ねてください。(貫汪)
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4月14日

 抜付けの復習をするつもりで、初発刀と横雲ばかりをおこないました。 しかし、刀を抜くまでに至っていませんので、そこまでを何回も繰り返し稽古しました。 鞘手や柄手、股関節そして目線等々気にかけるところは数多くありますし、またそれを客観的に判断してくれる人がいませんので、正確には判らないところもありますが、暫くはこのような稽古を続けていくつもりです。(浩)
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 自分の稽古を確認するにはビデオに撮ることが一番良い方法です。可能であればビデオカメラを稽古のたびに持っていき、稽古のあとに自宅で自分の動きを確認してください。其処から見えてくるものがあるはずです。
 自分の感覚が発達して稽古をしながら正せればよいのですが、そこにいたるためのステップとしてビデオを用いてください(貫汪)

4月11日

本日も、先生にお越しいただき、ご指導いただきました。
座り方から呼吸法、抜き付けの際の手がかり、鞘引き等々、非常に細かく繊細な作業の積み重ねが重要だと改めて思いました。まさに、自分との闘いだと感じます。
これまで、自分の中でも違和感があった尻の浮きが、腹の据わりが不十分で緩みが足りないということが分かり、なくすよう心掛けました。初発刀の斬りも、やはり今まで意識が不十分で、行き渡っていなかったのですが、教えていただいた事を元に、途切れないようにして行きたいと思います。
左手の方は、なかなかクセが治らないので、日常生活の中でも気をつけていきたいと思います。(幸)
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 日曜日には良い稽古をされたと思います。手順を覚えたら次になさねばならないのは動きの質の向上で、質が向上すればするほど動きはより楽になっていきます。
 居合の動きにも常日頃の自分の動きの歪や力みが現われてしまいます。居合の動きの質を高めることは、日常の動きを正すことにもつながります。また日常の動きの質を向上させることがなければ、居合の動きの質の向上も難しいものです。
 鞘手の動きが歪になるのは無意識のうちに小手先が働いてしまうからです。鞘手が後方にさがるとき、体を使うのではなく、感覚が発達している小手先で何とかしようとしてしまうのです。日頃から工夫してください。(貫汪) 
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 今回の稽古会では、抜付けを中心とした基本を教えていただきました。
現段階では、まだ刀を抜ける状態に至っていないことが認識できました。
刀を抜いていきますと、あるところ以上は力まないと動かなくなっていましたが、数々の手直しを受けまして、少しずつですが、力みが抜けてきているようです。今後は、今回ような稽古を続けていくつもりです。 着付けも大事、呼吸も大事、座り方も大事、教えていただいた全てのことを丁寧に大切に稽古していきます。(浩)
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 抜付けは自ら抜きつけるものではなく自然に行われるものです。抜くと抜けるは大きな違いで、抜こうという思いが残っているうちは真の抜付けは出来ません。抜けるためには抜けるための条件が整っておらねばならず、お教えしたことは抜けるための絶対条件です。あせらず、身につけてください。いつか知らぬうちに抜けるようになっています。(貫汪)

4月7日

 先日の広島護国神社での奉納演武の時も感じたのですが、演武の為に部屋で軽い定規等を手にして、稽古していましたら、多分その軽さ故に形が崩れてしまっても気付かなかったのでしょう、その後、居合刀を持って稽古しましたら、その重さを強く感じました。 今日は違和感を感じたのは最初のうちだけでしたが、これからは、部屋で重さのほとんどないものを手に稽古する時は、細心の注意を払わなければなりません。(浩)
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 軽いものは重いものよりも難しいとは以前も述べたとおりです。したがって軽いものはより感覚をとぎずまし繊細にならなければ臍下を中心として使えるものではありません。崩れてしまったとしたら、その理を理解されず、ただ形(外形)だけを稽古された可能性があリます。外形は内なる働きの表れに過ぎず外形を稽古するのは全く意味のない物まねにすぎません。良く解釈すれば軽いものを用いる事によりより感覚が繊細になり、今までの動きの悪いところがより以上に感じられるようになったために同じ動きをしていても崩れたと感じたのかもしれません。
 軽いものが稽古になるのは軽さの中に重さを感じる稽古がなされたときです。重いものは感覚の鈍い体にも感じることができるから、より簡単です。重いものを振り回せると考えてしまったら全く違う方向に行ってしまうしかなくなります。初心の内は道を迷われないように踏み外さないように気をつけながら進まなくてはなりません(貫汪)
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