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6月23日

 いつもお隣で稽古している少年柔道の指導者の方と話をする機会がありまして、「居合は静かな場所で稽古するものでしょうが、いつも騒がしくしてすいません」と挨拶されました。 少年柔道は他の曜日に少年剣道が横で稽古するときがありその時は、その気合や掛け声で、気が散り集中できないそうです。それでそのように言われたのでしょうが、私は柔道と反対側を向いて稽古していますので少々騒がしくても気が散ることもないようです。 また、近くの小学校の体育館がしばらく使えないそうで、今まで使っていた人達は、場所の確保に大変だそうです。かつて一年ほど前は自分たちがそうであったので、今の毎週剣道場が使える状況は、多少騒がしくても恵まれていると感謝しております。(浩)
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 「気が散らない」という言葉で如何に稽古に集中されているかが分かります。良い稽古をされているのだと思います。
 柔道の指導者の方もそのような心遣いを見せてくださる方であると言う事ですし、精神的には良い環境だと思います。このまま自分の稽古に取り組み、より楽に自然に動けるよう工夫を重ねてください。(貫汪)。
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6月16日

 日に日に蒸し暑くなり、稽古するには決して快適な気候ではありませんが、集中することを心掛けています。 また一人で稽古することも集中力を切らすことがあります。自分のペースで行う為に、色々なことが頭に浮かび、そのことが動きを止めたりします。 環境は変えられませんので自分が変わらなければと思います。 今日は斬撃から大森流をおこない、それから太刀打の請流を一人で稽古しました。 本来太刀打等は、相手が居るもので、タイミングや間合い等を考慮しながらおこなわなければなりませんが、一人稽古はそれらができないけれども、その分自分の動きに気を使えますので、あまり太刀打の稽古の進んでいない人や久しぶりに稽古する人には、いいのかもしれません。 (浩)
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 太刀打の稽古は一人で行い動きを身につけたほうが2人で正規に行うよりも効果が上がる場合があります。2人で正規に行っても導く者のレベルによってはただ形を合わせるだけになってしまい上達する為の生きた稽古にはなりません。それどころかパターン化した動きを身につけかえって不自由な体を作る事にもつながってしまいます。
 自分の動きを研究しつつ同時に自分にとって都合の良くない厳しい想定をイメージする事によって上達してください。(貫汪)

6月9日

 今回もこれまでの稽古の流れを途切れさせないように、臍下丹田に動きの中心があることを意識して、初発刀や横雲を始めいくつかの素抜きの形を稽古しました。 その後、少しでしたが木刀を持ち、一人で壁に向かって太刀打の請流をおこなってみました。 先日の稽古会では、手順を追うのに精一杯で実感できませんでしたが、太刀打は現在の自分の素抜きのレベルにも及ばないようです。 (本当の太刀打は相手もいますのでもっと困難であろうと思われます。) 別の見方をしますと少しは素抜きが上達したとも取れるのですが、何とも複雑な気持ちです。 木刀を持とうが、相手が居ようが、普段どおりの動きが出来るには日常も大切でしょうし、心の問題でもあるようです。(浩)
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 心はやっかいなものです。居合においては初心のうちから自分の心と向き合わねばなりません。少しでも「抜こう、振ろう」などという気持ちや「手を掛けよう、鯉口を切ろう」「刀を振りかぶろう」という気持ちが起きてしまえば体はそこに居付いてしまい、真の居合の動きは発現しません。

    居合とは心をしつめ指刀抜れはやかて勝を取なり

 心が静まった時には「どうこうしよう」という雑念は浮かびません。(貫汪)

6月6日

きょうも、先生にお越しいただき、私は1日だけ指導していただきました。
今回は特に、腹の動きを中心にするということに重点に、午前中は歩き方から斬撃を繰り返して行いました。
ただ単に歩くだけ、と言うと簡単に思われますが、歩くだけでも床を蹴らないこととか、鼠頸部に意識を置いておくことなど、非常に難しいことが実感できました。
斬撃の方は、振らないことに気をつけていますが、まだ腹とのつながりが不十分な気がします。刀の重さを利用することの重要性が改めて分かりました。
午後は、大森流から英信流を通して行いました。腹をなくさないようにということが課題でしたが、やはりやっていると形をやることに気が奪われてどうしても抜けてしまいます。ゆっくりと丁寧にやることを心掛けたいと思います。
太刀打ちになると、また別物になる傾向にあるので、木刀を持っても同じ感覚でやるようにしなければと思いました。
歩くことや座ることなどは日常でもできるので、普段の生活姿勢から改めたいと思います。(幸)
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 今日行った事が出来るようになればおおむね基本的な体遣いが出来るようになったということです。何をするにも兎角腰に有る刀や手にある刀に心を奪われ、手先ばかりが働こうとします。臍下丹田が動きの中心であり、動きの中心が働くようになれば刀は意識しなくとも動くようになります。つまり腕や肩を使うという感覚はなくなります。腕や肩を使っている実感があるうちはまだ臍下丹田が働いていないという事です。
 できるようになれば、居合はこんなに楽なものだったのかと驚くほどに変化し始めます。
 目の前のまつげの秘事ですのでよくよく稽古してください。(貫汪)
 

6月2日

 今日は、講習会のおさらいでした。 斬撃から始めて初発刀の運剣と順を追って稽古していくつもりでしたが、なかなか納得いかず次の形に進めずにいて、終いには時間が足りなくなり後の方の浮雲や山下風はただおこなったというだけで終わりました。 そのなかで流刀は、時間をかけて稽古したのですが、この形は特に自分の動きも捉えきれずに苦戦しています。ただ時間をかけて何度も繰り返し稽古すれば上達すると言うわけではないでしょうが、動画や写真に撮ったりして、毎回おこなってみようと思います。(浩)
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 流刀は大森流の中でも難しい形です。初発刀、左刀、右刀、当刀、陰陽進退がある程度出来るようにならなければ流刀の動きは出来るようになりません。それほど体が遣える事を要求する形です。焦らずにゆっくりと体が遣えるように稽古してください。(貫汪)

5月30日

 廿日市での居合道講習会に参加しました。今回のテーマである運剣はもちろんのこと、歩き出しや斬撃等沢山のことをあらためて教えていただき、自分の動きが出来ていないことを再認識いたしました。 これからの稽古課題が山積みで稽古時間の不足を感じますが、常に臍下を使って動くには、常日頃からの意識が重要になりますので稽古時間の不足を言い訳に出来ません。工夫していきたいと思います。(浩)
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 運剱は刀を動かそうとしない事が最も大切です。刀を動かそうとすれば刀は動かなくなります。また刀があるが故に自分の体は軽く動くようにもなります。工夫を重ねてください。(貫汪)
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