スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

8月25日

 新しく入門者がみえられましたので、一緒に稽古いたしました。 
まず礼法を稽古していただきました。 ただ立ってそして礼をするところから始めたのですが、初めて行うことは緊張されるのか、指先まで力が入っておられる様でした。力を抜いて動くことの困難さを何度も口にされてありましたが、最初に其れが分かられるのは良い傾向と思います。 力んだままではその後の座ったり、立ったりがさらに辛そうでした。
 また手順を気にしてありましたが、本当に大切なことは、手順ではないと私も頭では分かるのですが、覚えないと次回の稽古まで一人で稽古できないと考える初心者の気持ちもわかります。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 初めの内は忘れてもかまわないとお教えください。若年とはいえない方はどうしても手順を頭で覚えそれを追いかけようとします。一度頭で覚える癖がつけば何をしても手順を追いかけ、手順・外形を見事に行おうとし始めます。自由となるべき形稽古はかえってマイナスにしかならない華法となってしまいます。
 手順は体が覚えるまで道場で繰り返し、そのためには多くを教えすぎない事です。
 礼法は技の基礎であり、礼法が無理無駄無くできなければ形の稽古もレベルは低いものでしかありません。いくら日数がかかってもよいのでしっかりと稽古してもらってください。(貫汪)
スポンサーサイト

8月18日

 今日は、久しぶりに入門希望者がこられまして、その方と少々話し込みましたので、稽古時間は少なめでした。
 斬撃と大森流の稽古を見ていただきましたが、先入観のためか抜付けを始めとする一つ一つの動きの速さがゆっくりしていることに違和感を覚えておられるようでした。 
 また、ただ立ったり歩んだりするのも現代の身体の動かし方と違うこともよくは判られないようでして、色々と質問されました。 
 初心者の方が考えたり感じたりすることをお聞きするのは良い復習になります。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 現代武道を見慣れた目から見れば、江戸時代の稽古方法を受け継いでいる流派武術は奇異なものに写るのかも知れません。しかし現代でも書道の稽古はゆっくり行いますし、動きを大切にするものは丁寧にゆっくりと新たな動きを身につける教育法をとっています。動きの質が異なるのですから今まで通りの動きで形だけというわけには行かないのです。
 その点は現代武道が手っ取り早く効果を求めるために西洋の体育の手法を取り入れたのとは一線を画しています。動きの質が異なる事を学ぶのですから、赤ん坊が這い、立ち歩くのと同じ事です。這う事も出来ない赤ん坊がいきなり走る事は出来ません。こういう考え方ももう過去のものになりつつあるのかもしれません。(貫汪)
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 来週 8月25日は、城南中学校武道場は使えませんので、久留米武道館小道場で、稽古します。

8月11日

 いつも通り斬撃の後、抜付けを大森流、英信流の座法で行いました。
その後大森流をいつもの速さで行うものの、ふとした思い付きで二度目は、少し速く試みました。
やはり、早くすると、刀を振ろうとする気持ちが強くなるのか、力んでしまったり中心がぶれたりするのが自分でも分かります。 その後はいつもどおりの速さで行うようにしました。 稽古としては余計なことをしてしまいましたが、身体で自分にあった速さを納得できました。 その後少しですが、一人で太刀打ちの稽古をして終わりました。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 良いところに気付かれました。居合は微細な動きを初めから求められます。自分のスピードを越えてしまったら自分自身が何をしているのか全く分からなくなり、結局は稽古になりません。速さは生まれてくるのを待っていれば良いのです。そのうちに早くなります。
 かといって「ゆっくりと」と意識してもいけません。自分の動きにブレーキをかけるだけになってしまいます。稽古はあくまで自然に無理無駄なき事を心掛けてください。(貫汪)

8月4日

 今回は、先日教えていただいたことを忘れないように復習しながらもいつものとおりの稽古を行いました。手の内のこと、中心を保つことそして心の問題等、一人で稽古していたら考え込んでしまいたびたび動きが止まってしまいます。しばらくは悩みながら稽古を続けていきます。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 考えてはいけません。何もしなければ心も体も真ん中にあります。考えるから崩れてしまいます。稽古で大切な事は心も体も本来真ん中にある自分が何故・何時崩れたのかを知ることで、その原因を消していくことで上達していきます。たいていは、自分と刀が一体になれず、刀を何とかしようとすることに問題があるのですが・・・。
 刀と一体となるための体のありよう、手の内などは既にお教えしてある通りです。(貫汪)

7月31日、8月1日

 先生にお越しいただき、ご指導いただきました。
土日とも斬撃と抜付けをひたすら稽古しました。 斬撃では、常に真ん中を保つことを指導していただきましたが、刀を振り上げよう、斬りつけようという想いが強く、その強い想いが、上体を保てずにふらつかせてしまっていることのようです。 中心を保ち、ただ腕を上げ、そして下ろす。これだけですが、なかなか上手くいきません。
 また抜付けは、抜けないところから始め、何度も指導を受けながら何とか刀が抜けるところまではいきました。
しかしながら、抜けた後の柄手の使い方がよくないために、その後腕を使って刀を振っているようで、柄手の親指が生きていれば、刃先は走っていくとのことですが、これは最後まで上手く出来ませんで今後の課題とします。  このように今後の課題は山ほどありますので、毎回の稽古で少しずつ解決していきたいと思います。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 大森流・英信流表の形の手順は体が覚えこんでおられますので、今後は動きの質を高める稽古をしていかなければなりません。
 質を高めるためには自分の感性を高めるしかなく、動きの最中にも自分の動きの質の変化に気づく事が出来なければなりません。繊細さが求められるのです。
 居合は抜付けに全てがかかっています。ほんの僅かでもくるいがあったり滞りがあったりすれば、業としては未完成な物でしかなく、斬りかかる敵に応じることは困難です。それゆえ稽古における繊細が必要になるのです。一か零かという体の用い方ではなく一と零の間には数限りないものが存在します。
 まずは日常生活の中で動きの繊細さを養ってください。(貫汪)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。