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9月29日

 今日は兄弟子が、遅れて来られるそうなので歩法、礼法の稽古を行いました。先週先生に御教授いただいたことであるとにかく全身の力を抜くことのみを意識し、後に兄弟子に観ていただきました。結果、体の上下動が大きく普段の歩きに近くなっていることをご指摘いただきました。自分なりに少しは練習したつもりでしたが、違う方向を向いていたようです。やはり兄弟子に観ていただくことの必要性を感じました。本日ご指摘いただいたことを練習し、来週の稽古に望みたいと思います。(こ)
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 人は感覚の発達しているところに意識は行きますが、普段用いていないところの感覚は鈍いものです。 普段の生活で下半身が意識できていなければ、全身の力を抜いたと思っても感覚の発達している上半身ばかりの稽古を行っていて、結果として上下動が起こってしまいます。 普段意識していない下半身、背中などの感覚を養わなければ成りません。(貫汪)

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 私は、都合で道場に行くのが遅れまして、稽古時間が短かったので、初心者の方と礼法と歩法を稽古しました。 これらは、普段の稽古でも必ず行うことなうことなのですが、何気なく行う時と今回のように注意深く丁寧に行った場合とでは、自分の身体に対する感覚が違うようです。 あまり良くない動きをした時も、自分でそのことを自覚できます。 普段一人で稽古している我々は、細心の注意を払い、先生から教えていただいたことからずれていかないようにしたいものです。(浩)
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 居合は他の武道と同じように稽古を行うと、上達はできません。自分の感覚を研ぎ澄まし手の指先の働きや爪先の働きまで、体の隅々までがわかる繊細な感覚が必要です。
 居合は抜付けが生命であり、それは瞬時に行われるもので、その間に自分の全てを用いなければなりません。江戸時代には剱術の流派に比べて居合を中心とする流派の稽古を行う者が少なかったというのは歴史的な事実です。それほどに居合は修得が難しいものです。稽古には覚悟が必要です。(貫汪) 
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9月22日

 今日は、初心者の方が、急用で稽古に来れませんでしたので、一人で土曜日曜に教えていただいたことの復習でした。 刀礼と前後に歩くことを慎重におこない、斬撃は重心が上がらないように臍下に収まるように心がけました。  ここまでは先日の稽古の時のようにおこなえたようですが、横雲での抜き付けは、無理には抜かないようにしたのですが、何度か試みていますと、少々動きが歪んできたように感じましたので、抜付けは止めて他の事をして稽古を終わりました。 幸いに明日の祭日は、武道館の小道場が空いているそうで、明日また抜付けを試みてみます。(浩)
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 肚が抜けてしまうのは、ことさらに「ああしよう」「こうしよう」と考えてしまった結果、小手先中心の動きになってしまうからです。何もしなければ肚は抜けません。結局のところ自分が自分の自然なありようを壊しています。
 業としての無念無想を求めなければなりません。体に無理無駄が無いだけでなく、頭の中も空にしなければならないのです。難しいことかもしれませんが、求めてください、(貫汪)

9月18、19日

 土曜日曜の二日間、先生をお迎えして、ご指導を仰ぎました。 礼法や歩行から横雲の抜付けまで基本の総ざらいでした。 これらは毎週の稽古でおこなっていますし、決して軽視してはいませんでしたが、改めてご指導に沿って稽古してみますと、ズレと言いますか、多少違うものになっているのに気付かされます。 それを修正していただくことの繰り返しでそれはまるで、目が見えない者が歩いていて知らず知らずのうちに目的地と違うの方向に進んでいるのを、先導者に引き戻していただくことのようです。 このような状況ではこれが普通なのかもしれませんが、早く目が見えるようになり一人で歩いて行けるようになりたいものです。(浩)
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 上達の秘訣は「上達しようと思わないこと」です。仕方ないことななのですが、初心者の方は上級者のように動きたいと考えその状態を求めてしまいます。しかし、早く上達するものは決して上級者の状態を求めて稽古したわけではありません。動きの本質を求め続け、自分の我儘な動きを正し続けた結果知らず知らずにそのような状態に至ります。
 足元が見えていないのに遥か先だけを見て一足飛びにそこに到達したいと思うと結局転び続けるだけになってしまいます。(貫汪)

9月15日

 初心者の方には、座法、礼法を稽古していただきました。
 私が悪いところを指摘しても、すぐに直すようにしていただけるのですが、大人の初心者にはありがちなように、一つの事をし始めましたら以前指摘した事が元通りに戻ってしまわれるようです。 私も気を付けなければなりません。 初心者の方と稽古しますと、自分を顧みる機会がありますので、ご一緒の稽古を大切にしていきたいものです。
 私は、大森流を稽古しました。 そして、先日、廿日市での講習会で教えていただいたことを忘れないように、少し英信流奥の立業の形をしてみました。 この形はかわった想定が多いようですが、動きの一つ一つは基本の組み合わせでしょうから、今までの稽古を教えていただいたとおりに続けていくことが重要のようです。(浩)
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 自分自身の稽古でも、初心者の方にお教えするときでも絶対に抜けてはならない事があります。それが臍下丹田です。新たな事を稽古するにしても、また悪いところを修正するにしても臍下丹田が抜けていればいくら時間をかけて稽古しようとも絶対に上達する事はありません。体の動きの中心が存在しないからです。基準点がないわけですからどうにもならないのです。この点を絶対に忘れることなく稽古を重ねてください。
 一度に二つの事を稽古しなければならないと思われるかもしれませんが努力するしかありません。どうしても出来ないようでしたら、臍下を中心に動く事だけを稽古してください。(貫汪)

9月1日

 今日も初心者の方と一緒に稽古させていただきました。
正座に関しては、ご自分でだいぶ稽古されてあるらしく、先週より良くなってありました。
座ったり立ったり礼をしたりと動かれる時は、まだまだ力みがあるようです。 確かに力まず動くとは、大変難しいことと思います。また一週間工夫をして下さい。
 途中で初心者の方には自習していただき、私は大森流を行いました。普段の稽古に戻りますと稽古不足を感じます。 するべきことがより多くなって稽古時間の確保を少し考え直そうかと思っています。(浩)
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 初心者の方のご指導、お疲れ様です。初心者の方と稽古しながら自分が上達する方法は頭と口で教えようとせず、自分の最もよい動きを見てもらい、それから学んでいただく事です。
 出来ていないところは指摘して、分からないようであれば何度でも自分自身が行って、見ていただいてください。見てとる力を育てていただけなければ、なかなか上達も難しいものです。(貫汪)
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