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5月23日

 今日は、大森流から英信流表までを通しておこない、英信流を多めにいたしました。
刀を振ろうとする意識が強く出すぎないように心がけて稽古いたしました。
意識が身体を力ませるので、自分に楽に楽にと言い聞かせておこないました。
かと言って相手との関係を無視して、ただゆるんでいるだけでは、腑抜けになり武術とは呼べなくなります。
意識や心の問題は、大変難しいもので、これからもよく考えていきます。(浩)
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 これまでにお教えしたことをもう一度整理しなおしてください。「ただゆるんでいるだけでは、腑抜けになり武術とは呼べなくなります。」という考え方に間違いはありませんが、武術というもののとらえ方が異なっていればおのずと異なったものを求めてしまいます。武の術であって術という限りは美術であっても医術であっても術という言葉の定義は変わるものではなく武術の術が特別なものでもありません。(貫汪)
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5月16日

 弟弟子が、久しぶりに稽古に来られました。 まだ足に痛みがあるので今日はひたすら斬撃をされてありました。 気になった事は、構えた時に手の内が定まっておらず、そのため手首の動きで刀をこねておられるようです。
 私も、 形の中での斬撃の前に頭上で柄を掴む左手や、大森流の血振り後に刀を持っている右手が必ずしも毎回は同じようにはならず、手の内が定まらないことがあります。
柄を握ったり放したりする動きは少しでも雑になりますと駄目のようです。(浩)
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 まだ刀を振ろうという意識が強すぎるだと思います。刀を振ろうとすればどうしても小手先に意識が行くため手の内は定まりません。手の内というのは臍下の働きを刀に伝えるための伝達経路にすぎませんが、「刀を振る」という意識が強すぎると、自分の手で刀を何とかしようとしてしまいます。
 「剱に剱なし、體を持って剱となす。」という言葉を体で理解できるよう努めてください。(貫汪) 

5月9日

 今日は、いつものように斬撃から始めまして大森流、そして英信流表までおこないました。 感覚が鈍っているのか、あまり自分の悪いところが感じられませんでした。
途中であまり考えないで違和感を感じたところ見直すようにしているのですが、良くないところに気付かないでそのままにしているようにも思います。 次回、動画に撮って確認をして見ます。
 最後に太刀打の一人稽古を久しぶりに、おこなってみましたらいろいろな事を忘れているようです。時間を見つけて教えていただいたことは全ておさらいしていくようにします。(浩)
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 自分の姿を確認するのも稽古方法の一つですので、上達のために色々な方法を試してください。こぶ王の世界では一度教わった事は、二度三度と教わることはありません。一度教わったことは自分のものになるまで徹底的に一人稽古を重ねてください。道場での稽古は、その成果の確認にすぎません。(貫汪)

5月2日

 ついこの間まで、稽古の際に寒さ対策をしてしてたようですが、今日は動くと汗ばむような暑さでした。
季節の変わり目は体調を崩しやすいのか、弟弟子は病気で稽古はお休みです。 気を付けなければいけません。 
 さて今日の稽古ですが、連休前で仕事が長引き、時間が短めでしたので、集中して形を一通りやり切ろうとしたのですが、どうも調子が悪く細かい部分がうまくいかない処が多くありました。
 そういう時は、気持ちを切替えて、肚を忘れないようにすることと呼吸だけを気をつけ、落ち着いて出来る分だけの稽古することにしました。
 調子が悪いのは心の問題です。 平常心になることが大切だと思います。(浩)
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 居合の稽古は特別なことをしているわけではなく、日常の心の状態・体の状態がそのままに現れるものです。道場に入ったからと言ってそれが急に変化するものではありません。道場の外での工夫が大切です。(貫汪)
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