スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2月27日

 自宅で刀を持たず稽古をしまして、道場に出て普通に刀を差して形をおこないますと、違和感があるところがあります。
 刀を持たなければ鞘の長さがありませんのでどのようにしても抜けますし、重さがありませんので自由に振ることが出来ます。刀の長さと重さをきちんと認識しておかないと折角時間をとって稽古しているのに、上達どころかマイナスになるかもしれません。気をつけます。(浩) 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 刀の長さがあるからこそ心と体は自由に広がり、刀の重さがあるからこそ体は自由になります。これは思いをかえて稽古すれば時間を掛けずに会得できることです。ぎゃくに刀なく動くことのいかに困難な事か。重さ長さがあるからこそ上達できます。(貫汪)
スポンサーサイト

2月13日

 形を稽古するときに、敵の存在を忘れないようにするために相手の位置に何か物を置いておこなってみました。
 剣道場のときは、打込み用の人形を使ったのですが、それがない体育館のときは、椅子やバケツを使います。
 刀が当たらないようにしなければなりませんので、間合いは違うのですが、そこに何かものが存在することによって対応する方向が明確になったり、何より相手を意識する気持ちを持ち続けられます。(浩)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 物を置いて稽古するのは自分の刀での間合や位置が分かったら、続けて行うべきではありません。据物斬になってしまうからです。ましてや刀が届かないところに物を置いたら、その届かないところに合わせた体の遣いようになってしまうため、下手をすると稽古すればしただけ下達してしまいます。間合や位置を知るためであれば横の抜付けの場合には刀の軌跡より低い物を置けばよいのです。
 居合の相手は生きて斬りかかってくる相手であり、その場に動かず待ってくれている敵ではありません。したがって動かないものを置いて稽古し続けていれば、動かないものに対する稽古になってしまいます。相手がいて間合がある武道を経験されているのですから自分にかかってくる相手は十分にイメージできるはずです。(貫汪)

2月6日

 今日も道場での稽古は、一通りすべて行ってみて、気になるところ、納得できなかったところを持ち帰って刀を持てない家の中で工夫して稽古することにいたしました。

 日頃忘れがちですが武術にはおいては、相手と生死を賭して向い合うという究極の想定のもとで心の持ち方、心身の状態などを自己コントロールする方法も同時に学ばなければなりません。
多くの場合、それに気付くこともなく、どちらが強いか弱いかとか、形がどうあるかばかりを武術の修業と捉えております。
 自分に言い聞かせながら稽古を続けてまいります。(浩)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 良い稽古をされました。できないところを正しく認識するのが上達には不可欠で、そのできなかったところを四六時中工夫していくのが上達の基礎です。
 今の段階ではできないところは心が正しい動きを邪魔している部分が大きいので、心を見つめながら稽古を重ねてください。(貫汪)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。