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3月29日

 水曜日は、郊外の職場より直接体育館に向かい、稽古をするのですが、26日は事故でもあったのか、市内へ入る道路が大渋滞で、体育館に着いて稽古を始めるころには、あまり時間が残されておりませんでした。
 そこで今日は、予定ではなかったのですが、場所も空いておりましたので稽古いたしました。

 水曜日には、あまり出来なかった太刀打から始め、大石神影流剣術に移り、表拾本までおこない、残りの時間で、裏拾本も少しだけ見直して終わりました。

 素抜抜刀術の稽古は、気をぬくと仮想の相手が消え、自分勝手に動いていることが多いですが、普段相手と相対しておこなう稽古は、例え相手がいない時でも仮想の相手を想定しやすく、間違いが少ないようです。(浩)
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3月22日

 今日は、急遽いつもと違う場所で稽古することになりまして、勝手が違いましたので、基本稽古を主にすることとしました。
 礼法、歩行、斬撃そして、大石神影流剣術の構えと素振りその後、無双神伝英信流抜刀兵法の太刀打とおこなって稽古を終了いたしました。
  このところ太刀打他、木刀を使っての稽古もしており、居合刀を使用した素抜き抜刀の稽古ばかりしていたときに比べ、出来る範囲の稽古が限られたときに柔軟に対応できます。(浩)

3月19日

 一週間前とは違い、ずいぶん暖かくなり、稽古しやすい一日でした。

 先日、知り合いの幼児を見ていて気付いたのですが、何かに夢中になっている時、
何かのモノに集中している時、周囲の雑音や呼びかけにさえ反応せず一心に取り組んでいます。

これは一見、大したことではないように思いがちですが、我々もこれだけ物事に集中できれば、武道武術でもっと早く上達ができるのではないかと思います。

我々大人は、自分では集中していると、自覚している時でも、集中度合いからすれば、6割程度の集中力だそうです。
つまり4割は他に意識を残していることのようです。

 禅の中に、「集中と放中」ということが云われます。
「集中」が極限に達すれば同時に「放中」が起こるということです。

即ち、集中が高まれば、周囲の状況も同時に感じられる。
明鏡止水の心の状態になること、そしてその心境になった時、周囲の動きが鏡のように明らかになる。

無い物ねだりではなく、元々幼児期まで持っていた能力は、どこか心の奥底に深く仕舞われているはずです。

それらを見つけるのも稽古の一つです。(浩)

3月12日

 今年は、遅くまで雪が降るようで、先週末に少し降りましたし、明日あさってと山沿いはまた降るかもしれません。
体育館では、寒さ対策で下に着込んでいます。
 
 普段二人で相対して稽古する、太刀打や、試合口などで相手をしてくださる方が居られない時には、鏡に向かって一人で稽古しておりました。
 しかしそれでは、自分の動きばかりを見てしまい、肝心の「相手」の存在がなくなってしまいます。
 想像力で明確な相手を思い浮かべられるように、ほとんど鏡を見ずに稽古することにしました。(浩)

3月8日

 歩行に時間を費やして稽古いたしました。
まずは、刀を納めたままで、次に構えて、そして斬撃を

ここしばらくは、稽古始めにさっとしかしていませんでした。礼法も同様でした。

重要な身体の感覚ですので、鈍らせないように心掛けていきます。(浩)

3月5日

とある方から「凡事徹底」という言葉を教えていただきました。
当たり前のことを徹底して行うということです。
凡事徹底とは、当たり前のことを徹底的にやってしまう訳ですから、「凡事人並み」ではないのです。

一日に8時間くらい働いて、週に1回か2回稽古に行って、これでは当たり前のことを、皆と同じにやってるだけで、決して凡事徹底ではないです。 人並みです。

当たり前の事を人と同じようにやっていたのでは、先に行く人に追いつけません。

一つの事を何も考えずに凡事徹底する、愚直にやるということです。
「何も考えずに」というのは、思考するなということではありません。
「つべこべ考えるな!」ということです。

凡事徹底が出来るか否か、ただそれだけです。(浩)
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