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4月30日

 毎回の稽古において、身体の力みを取り、無理や無駄なく動く様にと頭では考えているのですが、納得できるように出来なかったり、自己満足であったりと簡単にはいきません。

 もし具体的にどこをどう抜けばいいのか解説しながらおこなえと、求められても明確な説明と実行はなかなか出来ないでしょう。 
 ところがまったく逆の「力を入れろ!」と言われてたら、子供でも簡単に出来るでしょう。 
 このように、「力を抜く」ということは簡単にはできないようです。

「力を抜く」ということに特化して訓練しなければ、力を抜いた状態を自分でコントロールすることは、非常に難しいのです。

 例えば、心に過剰にストレスが溜まると、身体は硬直します。
 心配事があっても無意識に身体は硬直しようとします。
 不安があっても力みが出てきます。
 恐怖があっても硬直してしまいます。

 これらの事からも解るように、心と身体は別々であって一つなのです。

 毎回、心のありようを意識しながら身体を使って、稽古しています。(浩)




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4月26日

 先週は、場所の都合で稽古が出来ませんでしたので、今週は、土曜日は予定していなかったのですが、稽古いたしました。 無理しないように、常に心掛けて稽古をおこないました。

 ところで、武道の要素として云われている言葉に、「一眼、二足、三胆、四力」があります。
                        
 武道武術の基本や技、また考え方や捉え方は、他のスポーツ等とは大きく違っています。
その違いは、常に生と死が前提にあって構成されているということです。
 
 そのような極限の状況の中での必要なものを、重要な順に上げたものが、この武道の四大要素です。

 その中でも「眼」は一番最初に取り上げられるほど重要なのですが、これはただ目が良い、動体視力がいい、ということを言っている訳ではないでしょう。

 眼とは、心眼や目付けと云われるものです。 目付けとは簡単に言えば、相手のどこに目を付けるか、ということでしょう。
 目を付ける、と言っても、そこに視線を止めるということではなく、相手の眉間に目を付けていながら、その先の遠い山を観るが如くに眺めることです。
 言い換えれば、肉眼の目をそこに付けてはいるが、それを透して心の眼で遠くを観る見方です。

 1に目付け、2に運び足、3に度胸、4に筋力を含む力、という順番からしてみても、真の武道に気付けば、力などは、最後でいいんです・・・ということです。

 力よりも技よりも、第一に「心眼」を修行しなさい。 ということは、心の眼を養い心の強さ、意識の強さ、想像力を高めなさいということでしょう。(浩)

4月16日

 何をするにしても基本があり、この土台をしっかり創り上げた上で、その上に構築する技術があります。
そう考えて、毎回礼法や斬撃を稽古しております。

 また斬撃は、当日の調子も教えてくれます。調子が悪いようでしたら、呼吸や身体各部を修正しながら繰り返します。

 今日も斬撃においてあれこれと考えて、随分と時間をと取られました。 その分、形の稽古ではあまり考えずに動くことを心掛けております。(浩) 

4月12日

 古武道を修行し始めますと脱力して動くことに、まず苦労いたします。 特に今まで筋トレで筋肉を鍛えている人は、力の抜き方も感覚的に分からない方が多いです。

 生まれてこのかた、脳に力を入れて動くことだけを長い間インプットしていますので、まったく逆のことを脳に再教育することに非常に時間が掛かってしまいます。

 同じ事を習って、習得が早いか遅いかを問われるのも一つには、自分の脳に今日まで何を刷り込んで来たのかということが非常に関係しているようです。

 現代武道やスポーツをなまじやっておられた方で、特に体幹部が力んで、一枚岩のように使っておられるのをしばしば見かけるのですが、ご本人はそのことさえも感じ取れないことが多いようで・・・体質もありますが、本人の意識の問題でもあります。 訂正するのは難しいことです。 

 今日は、大石神影流剣術を主に稽古いたしました。 構え、素振りと多めにこなし、試合口と表拾本を行いました。(浩) 


4月5日

 土曜日の稽古は、補習として普段さっと通り過ぎるくらいしかしていない基本を時間をかけて稽古することにしております。
 礼法、歩行から斬撃を長めにおこなった後、大石神影流剣術に移りまして、構えと素振りです。
その後に残り時間を見て、後の稽古を決めます。
 単調ですがその分変化に気が付かされます。(浩)

4月2日

 いつも使わせていただいている体育館は、3階建てでエレベーターが付いております。 我々は、2階の部屋を使わせていただいておりますので、さすがにそんなことはないのですが、3階の体育館を使っておられる方にはエレベーターで上り下りされてある方も居られます。何かしら体を動かすために来てある人たちなのにと、少々違和感を感じます。 
 その昔は、階段を上るしか選択肢がありませんでした。

 また、その時代、例えば風呂を沸かす時はどうだったかと言えば、まず井戸から水を浴槽に汲み上げます。
何度も何度も井戸から汲み上げては浴槽へと、何杯も汲んで、やっと浴槽が一杯になります。
次は斧で薪を割らなければなりません。
 
 ここまでの風呂を沸かす動作だけを考えても、昔と現代とではこれほどの違いがあります。
その時代に風呂を沸かす度に毎回行われていた作業が、今は指一本です。しかも一瞬に済んでしまいます。

 昔は、全てのことが毎回のこのようなので、人は出来るだけ疲れないように、楽に水を汲み上げるには、身体をどう使おうかと工夫して、自然と出来るだけ腕や末端を使わないようにしたことと思われます。また次の段階の、薪割りもそうです。重たい斧を腕で振り回すよりも、体幹を使えば楽に振り下ろせます。

 現代では、わざわざジムに行って筋トレをします。 わざと負荷を掛けて腕や脚の筋肉繊維を強化しようとします。
腕や脚などに負荷を掛けて鍛えようとすれば、確かに腕や脚の筋力はアップしますが、体幹はどうでしょうか。 まったく鍛えられない訳ではありませんが、体幹の使い方はほとんど身に付きません。

 だからと言って、筋トレを全面否定している訳ではありませんが、自然に身体を使うと自然に本来の使い方になります。生活即稽古と思い、もう一度考えなおしてみましょう。(浩)


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